今はあまり流行らないだろうが、昭和の終わり頃、俺は大学生活を下宿で過ごした。
そこは小さな町工場で、昔は住み込みの職工の部屋だったが、みんな結婚して独立したので『睦荘』という下宿を始めたと聞いた。
睦荘の部屋は6畳一間で4部屋あり、1年生から4年生が各4人だった。
町工場の二代目の大家は40代で、一風変わった性癖の持ち主。
その代わり下宿代は破格の1万円だったから、差額を小遣いにできた。
そしてその性癖というのは・・・。
下宿部屋の奥には10畳ほどの畳敷きの食堂があって、1年生の俺の歓迎会がそこで行われた。
俺は慣れない酒に酔わされて、下半身を露出され、先輩に足を開いたまま押さえつけられ、大家にチンポを扱かれながらアナルを解された。
ローションまみれのボコボコしたアナル用ディルドをゆっくり出し入れされ、恥ずかしいやら変な感触だわでしばし抵抗していたが、次第にアナルの快感に悶えるようになってしまった。
そして、まだ童貞だというのに、大家にアナルバージンを捧げてしまった。
深く出し入れしたかと思うと、カリと亀頭の段差を入口付近で浅めの出し入れをされて、それが何とも気持ち良くて喘いでしまった。
大家にアナルを犯されながら喘ぐ俺を見る先輩たちは、なぜか全員が勃起させたチンポを出していて、この後、俺は先輩たちにも輪姦された。
4人分の精液をアナルから垂らした俺は大の字にグロッキーになっていた…。
睦荘の食堂は、食事するだけでなくヤリ部屋にもなっていた。
大家が1番の選択権を持っており、その次は学年が上の者に選択権があり、したがって俺に選択権は無かった。
当然、新入りの俺は指名される回数が多く、毎日誰かにアナルを犯され、大家さんには週3回のお相手を望まれた。
特に土曜の夜は乱交状態で、輪姦される1年を見ながら、大家にアナルを犯された。最も立場の弱い俺は縄で縛られて、徹底的にマゾ男にされた。
足をV字にされて淫らに股間を晒して縛られて、玩具にされた。
チンポやタマを紐で締めあげられると、チンポは血管が浮き出て脈打ち、タマは破裂しそうになる。
その状態で、ゴルフボールをコンドームに入れた物をアナルに出し入れされて喘いだ俺。
ゴルフボールが引き抜かれ、ゆっくりとポコッと出る時に思わず、「ああ~~」と声が出てしまう。
そして勃起チンポを習字の筆で撫でられて、ピンピンのタマも撫でられて、大家のチンポをアナルに入れられた。
大家にアナルを掘られながら、勃起チンポは先輩のアナルの中へ・・・。
アナルの快感とチンポの射精感、でも縛られて射精できないもどかしさ・・・。
アナルに注がれる熱い精液、そしてビクビク震える俺のチンポ。
やがてチンポの紐が解かれ、精液が先輩のアナルへ解き放たれた。
「おおお~~~おっおっお~~」
先輩が虚ろな顔で感じていた。
それを大家が見て、不敵な笑いを見せた。
2年、3年と進学するにつれ、俺も後輩を犯すようになった。