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坊主達との記憶

昭和の頃の話です。
家の近くにちょっと大きなお寺があり、中学生の頃はよく授業をサボってお寺の墓地というか裏山のような所で、父が押入れに隠していたエロ本を持ち出し読み耽っていました。
それは、いつしかセンズリに変わり……若いお坊さんに見つかって、怒られると思いきや「性処理」をお手伝いすることになりました。

今のことは分りません。ただ、その頃の若いお坊さんは女色や妻帯を禁じる戒律に順じ、その代替的行為として私の尻穴を求めたと思われ、いわゆるいわゆる後背位でひたすら腰を振り、射精して立ち去る行為で…。

その反面、女色を極端に回避したいのか、オネエ言葉や女装を極端に嫌い、男らしい仕草を私にも求めました。

私の経験談は、もう数十年も前のこと、今の常識では考えられないことかもしれませんね。でも、私の中では、とくに尻穴にとっては、今でも鮮明過ぎる記憶です。

その若い僧侶は、ご健在なら90歳を超えとると思いますが、その後妻帯されたと聞いています。

私にとっては初めての僧侶というより、初めての「男」で、「処女」ということばが使えるなら「処女」を捧げた人です。
偶然かと思いますが、私のセンズリを目にしたこの僧侶は、険しい顔のまま、私のそばに立ち、股間を一撫でしただけで、あらぬ方へ目をやりました。叱られなかったのを合意ととった私は、その人のチンポを口に含んだのですが、どうやってチンポを引っ張り出したか、記憶が曖昧です。たぶん、モンペのようなものを穿いとったと思いますが、ハッキリしません。ただ、半分、皮かぶりの真っ赤な亀頭が、私の口の中で剥けて行ったのを覚えています。

その日は、仰山の精液を注ぎこまれ、それを飲んだ時、不快感も嫌悪感もなく、心地良ささえ感じて、自分の性癖を自覚したのを覚えています。

翌日、誘われるままに、また墓地で会い、尻穴……いわゆるケツオメコに挿入されました。

最初にお話しした「女色の代償行為」としての男色の話は、その後出会った若い僧侶?(多分二十歳前)にもいえることで、男色というより、相互センズリ……お互いのチンポを扱きあって、快感(射精)を味わうものでしたが、私がおとなになって出会った僧侶は、男色100%の「淫猥坊主」でしたよ。

そのお坊さんとは、大阪キタのゲイバーで出会い、そこのトイレでチンポの見せあい・・・それから近くの男色ホテルに直行でした。

「兼業農家」「日曜大工」のように「兼業僧侶」「日曜坊主」という言葉があるのか分らんが、そのお坊さんは、実家が小さなお寺で、勤め先(商社?)の休日には、檀家まわりや通夜・葬儀に出とるようでした。

むろん、それを知ったのは、何度目かのケツオメコ中、携帯電話に、通夜の連絡がはいり急きょ帰宅することになり、その職業?を知りました。

そのお坊さんと、過去に出会った若い僧侶との大きな違いは、キスが好きなこととチンポを平気で咥えに来たことです。ねっとりした舌を絡め、時には強く吸い、唸るような声を発して来ます。

体型は、私(160cm×70kg)より一回り大きい感じ、でも170cmはなく、体重も多分80kgあるかナシやと思います。

いわゆる69が好みで、私の上に正常位で覆いかぶさり、激しいキスを浴びせた後,腹を軸に体を回し、私のチンポを咥えにきます。そうしながら、雄犬の小便のように、片足を上げ、勃起したチンポを私に見せつけるのです。

長さも人並み以上やと思いますが、「ふとッ…」と息を飲む太さで、とくに、亀頭のエラは竿より1cm近く張り出しとったように思います。

竿には、青筋が蔦のように絡み魅了されたのを思い出します。
そのエラの張りを味わうように口に収めると、咽喉近くまで吸いこんでは吐き出す仕草をお坊さんが舌先で、私のケツオメコを突くリズムに合わせてつづけました。

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