小4の時担任が中村先生になりました。身体は大きくて、がっしりとしてました。
放課後トイレに行ったとき、中村先生が便器を前にして、目をつむってうっとりしていました。
「中村先生」と声を掛けると、ビックリしてました。
友だちに様子を話すと、「オナニーしてたんだ」と言います。
「オナニー」を知らない僕は、それ何と聞きました。「お前オナニー知らないの」って笑われました。
ある日、先生にさよならを言うと、「放課後宿直室に来なさい、勉強道具を持って」
今日わからないところがあったので教えてくれるんだと思いました。ところが、中村先生は「いやぁ、今日はきみに恥ずかしいところを見られて、悪かった」「なにがですか?」「えぇ、きみはまだ知らないのか?…知らなくいいんだよ。そのうち分かるから。」
中村先生がトイレの便器に向かって瞑想していたのは、後になって分かった。
その現象は、登り棒に掴まって両足の土踏まずで棒を鋏み、両手で棒を握りしめ、尺取り虫にように登っていく。
必死で尺取りをしていると、股の間がむずむずし、頂上に着いたとき、最高に達し、オチンチンの先から何かが出る。
その快感は、経験しないと分からないものなのだ。下に滑り降り、しばらく休んで回復を待つ。
なんか後ろめたさを感じ、辺りに人がいないと、登り棒にとりつくのだ。2回目の放出でパンツの中はベトベトになる。
登り棒に登らなくて、同じような快感は、友だちが言うオナニーでも味わえるが、快感度は低い。
中村先生も、手軽に快感を味わっていたのだ。
先生は、きみが射精するようになったのは、大人に近づいたのですよ。性交の意味を教えてくれた。当時先生はまだ独身だった。